青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

ガイドさんが笑った!

ここ数日、また転換期を

迎えており

一人で喜んだり、

涙したりの毎日です。

 

色々あるんですが

昨日あった出来事。

 

私は考え事をしていた。

それは、

何故、今のこの職場に

来たのかということ。

 

私の職場は

児童養護施設といって

虐待など家庭の事情で

親と暮らせない子どもが

生活している場所である。

 

私はもうすぐ、

働きだして2年になる。

初めの頃は、とても子どもに

イライラしていた。

 

それなのに、

『可哀相な』子どもを献身的に支える

善人なのだと自分を思い込もうとして

イライラしている自分を

認めなかったため、

更に拗れて、辞めるしかないという

限界にきて

ようやく自分と向き合い、

 

心に傷のある子どもを

許せないのは、

私が駄目人間だからではなく

子ども時代の

向き合っていない自分(感情)を

思い出させるからなのだ、と

いうことが分かった。

 

この職場に

来たのも、偶然ではなく、

必然である。

 

そう言えるのは、

あまりにも、シンクロがあり過ぎるからで

書くと長くなるので省略するが、

私はこの職場が出来る事を

今から15年前に既に

知っていたのだった。

 

そして、今年に入り、

幼少期だけでは、魂について

この世界の成り立ちについて、

全て理解するのは、難しいという

見解に至る。

それは私の中で、確信に近い。

 

スピリチュアルの世界で耳にする、

ライトワーカー

スターシード

ソウルメイト等といった言葉を

ご存知だろうか。

 

私はこの言葉にとても囚われていて

人も自分も不自由にしていたと

最近、気づいた。

 

『この職場に来たのは、

ライトワーカーとしての

使命を遂げるため!』という思想に

取り憑かれていた。

 

誰にも頼まれていないのに

子ども達を救わねば!と

勝手に気負っていた。

何処か、ズレた責任感を持っていた。

 

その『救わねば!』という責任感は、

恐らく、別の人生だった時の経験と

関与し合っていたと思う。

私の場合、少なくとも3回はある。

アトランティス文明の時、

奈良斑鳩の時、

魔女狩りで火刑にあった時。

 

そのしこりになっていた感情を

湧いてくるままに感じ、

あらかた終わった感のある今。

 

『じゃあ、誰かを救うためじゃないのなら

何がしたくて来たのか?』

それがずっと、気になっていた。

 

それが昨日。

ハッキリとアタマに閃いた。

 

『そうか、遊ぶためだ!』と。

 

その時、部屋にある、

ガイドさんの絵をふと見たら、

ニッコリと口元が

動いて笑った!

 

『えーー‼今ガイドさん、笑った!』

 

信じてもらえなくても

大丈夫です(笑)。

だけど、私は確かに見たよ。

絵って笑うんだ!

ひぇーー

 

一応説明すると、

ガイドさんとは

誰にもいる存在で

守護霊とかガイドスピリットとか

その人をサポートしてくれている存在の事を

いいます。

 

このブログでも

以前紹介しました。

 http://sevenray.hatenablog.com/entry/2018/04/09/221837

 
f:id:sevenray:20180718143459j:image

『私が児童養護施設に来たのは

使命や罪を償うためではなく、

遊ぶため。』 

 

なんて、シンプル。

物事をより深刻に、

小難しくしていたのは

私だった。

 

この『遊ぶ』については

単純に子どもと遊ぶ、という側面もあるが

より味わい深い

『魂を知る』という遊びである。

 

『全ては魂にとって、遊びである。』

 

私が選んだ『この職場』というソフトで

より自覚的に遊んでいこうと思う。