青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

『私を守ってきたもの』達との別れ

私は今、ずっと長いこと

手放したくても

手放せなかったものたちとの

別れの時を過ごしている。

 

それらは

つかの間の『安心』にみえるものを

私に与えてくれた。

私はその時々を生き延びるため、

それらを自分に取り入れた。 

 

私の場合、母との関係のなかで

強くそれらが現れた。

 

誰かが弱ったり、困っていたら

一緒に共感し、助けてやらなければならない。

自分を犠牲にしてでも。

共感しないことは冷たい事、悪い事だ。

『弱い人』を救うことは

良いことだ。

 

子どもは弱い存在だから

全て世話をしてやるべきだ。

失敗したら可哀相だから、決めてあげる。

助けてあげる。

いつも心配してあげている。

それが愛だ。

 

これらは一見、

愛情深く、美しくみえるかも

しれない。

けれど、その根底にあるのは

困っている人や子どもは

『無力な存在、可哀相な人間』と

いう見方だ。

 

私は母のこういう愛し方が

とても不自由で、苦痛だった。

すごく嫌だった。

子どもを自分の所有物だと

思っている。

自分の思い通りでないと

許さない。

だけど、他人にこの辛さを

分かって貰えることは、殆どなかった。

何度も止めてくれるように

話したが、聞いてもらえなかった。

 

『私』という個人の境界を

持つことが許されないと

信じていた私は

社会に出ても、いつも周りに

振り回されていた。

イライラしている人がいたら

常に自分のせいだと思った。

『自分』がどうしたいのか

いつも、分からなかった。

 

今は、何故、この母と

親子になることを選んだのか

わかるような気がする。

 

私達は、似たような『寂しさ』

同じような『罪悪感』を持っていた。

『自分は無力な人間である。』

『だから周りに振り回されるしかない。

言いなりになるしかない。

私には解決する力がない。』

 

無力だと信じる者同士、

もたれかかって、

助け合って

『私達はどうせこんな程度の人間だ。』と

諦めていたかったのだ。

馴れ合っていたかったのだ。

自分を信じることが

怖くて。

 

けれど、そんな母ともお別れする時が

きたのだと思う。

 

何故なら

母は無力ではなく、力のある人間だと

わかったから。

その事に気づいていない、

自覚がないだけなのだ、と。

 

私も母も

殆どの人が

その事に気づけない。

この地球での経験は

その真実を取り戻す旅なのだ。

 

『自分は自分の現実の

全てを創造しているのだ。』

 

もたれ合うような『愛』を

手放し、

母との新しい世界を

築いていこう。