青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

全ては、私を知る機会。

こんにちは、みけねこです。

 

様々な気づきを

重ねている日々なのですが、

久しぶりに

性について向き合うことが

ありました。

  

セックスについては

去年、ある程度は

ブロックを認識できたことと、

 

最近は

ジョギングやジベリッシュ瞑想などで

性エネルギーを

出すことで楽になってきたので

 

『もうそんなに性のことを

書いたり、意識したりしなくても

良いのかも…』と思ったりして

 

『これで、変人にならずにすむ』と

どこか安心していました。 

 

しかし、

本当に自分を生きていくことを望むのなら

やはり意識を向けていく必要が

あるようです。

そう感じた出来事を

書いていきたいと思います。

 

年明けのことです。

人から

『身体を触られて不快な思いをしている。

嫌だと拒否しているのに

しつこくされて、困っている。』という

相談を受けることが

ありました。

 

その人は

誰にも相談出来ずに

ずっと悩んでいたとの事で

まだ解決した訳ではないが 

やっと話しが出来て

少し安心した様子があり、

私もとりあえずは

良かったな、と

思っていたのです。

性と向き合ってきたことが

少し活かせるように

なってきたのかと。

 

が、更にその後、

全く別のところから

同じ内容の話しを

聞くことになりました。

 

子どもの声で泣きながら

『大人に身体を触られて

嫌な思いをしている。

助けてほしい。』という

いたずらと思われる電話があった、

そのことに関して

何か知っていることはないか、と

尋ねられるという出来事が

ありました。

 

その話しを聞いて

私は何かゾッとするような感覚を

覚えて、

『放置していてはいけない。

これは外の出来事と捉えるのではなく、

私の内側をしっかり見る必要があると

告げているのだ。』と

やっと気づきました。  

 

同じような事が 

人や状況を変えて

何度も起きてくる時は

無視していてはいけないという

サインだと私は認識しています。

 

家に帰ってから

さて、どうしようか?と考えて

そうだ、今私が敬愛している

OSHOなら

何と言うだろうと想像してみました。

 

『その嫌悪に瞑想しなさい。

その中に入っていきなさい。』と

言うような気がしました。

なので、

その感覚を呼び起こし

感じてみました。

 

すると、初めに感じていた

気持ち悪さが変化して、

悲しみになり

激しく泣けてきました。

しゃくり上げて

泣きました。

 

涙と共に出てきた思いは

『セックスしたくない』でした。

 

『セックスしたくない!』なら

『セックスしなくても良いよ!』と

言いながら

泣き続けていくと

スーッと楽になり

深い安心感が

広がっていきました。

 

瞼の裏に明るい光が

射してきて、

心臓の辺りの苦しさが

緩んでいくようでした。

 

私は何故か

不快な性行為は

我慢するしかない

嫌だと言っても

どうせ聞いてもらえない

自分さえ犠牲になっていれば良いと

思っているところがあり、

 

かと言って

心底納得していないので

その怒りが嫌悪感となって

内側にあったようでした。 

 

しっかりと不快感を

感じることで悲しみとして

表現され

楽になり、安心感へと

変容していったのだと

感じています。

 

感情や性エネルギーは

運動や瞑想など

様々な方法で発散することも

大切だと思うのですが

 

同様にじっくりと

内側を感じて

入っていき、

変容させていくことも

楽になっていくために

有効であると感じました。

 

私はセックスへの

拒絶、恐怖感は

強い方だと思いますが

それは反対に

より良い調和のあるセックスへの

憧れ、希望があることの裏返しなのだと

考えています。

 

セックスは

私にとって忌まわしく、

魅力的なテーマです。

 

なのでまた、ぼちぼち

書いていこうと

思います。

 

読んでいただき

ありがとうございます(^^)v