青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

性は創造の源。

こんにちは、みけねこです。

 

今回は、

『性は創造の源』について

書いてみたいと思います。

 

そんなこんなで

性と向き合うなかで

性エネルギー、性欲はやはり

人間が生み出す創造の源なのだなぁと

感じることがありました。

 

私は何故か、車の運転中に

変性意識に入りやすいことがあって、

その時も、考え事をしながら

運転していたら

また急に性欲が膨らんできて

勝手に喘ぎ声が出てきました。

 

そのうち、それは

ベリッシュ瞑想のように

自分では意図していないのに

赤ちゃんが、言葉を覚える前の

言葉にならない音の連なりが

『$%#@%&%$@$%…』と

自然に発声されていきました。

 

その後も色んな音階で

喘ぎ声が出てきたり

どこかの民族音楽のような

歌を歌い出したり、

かと思えばソプラノ歌手のような

高い声で発声練習をしたり。

勝手に右手が指揮者のように

指揮をし始めたりと

動くのです。

 

色っぽい声で喘いだと思ったら

ふざけた調子で喘ぎ声が出たりして

それが可笑しくて、

笑ってしまいます(笑)。

 

この人生では

ソプラノを歌ったこともないし

(高い声は出ないので学生時代は

アルトでした)

指揮もしたことはないです。

 

どうやら別の人生の私が

ほんの一部分ずつ

現れたようでした。

 

また、様々なダンスも

身体の中の

性エネルギーの解放から

生まれるものなのだろうと

感じます。

 

私は今も時々、

横になって、意識が薄くなると

下半身がセックスのように

動くのですが

立った状態でそれが起きるなら

ダンスだなぁと。

 

実際、フラダンスは

子宮のエネルギーを解放する

ダンスであるという記事を見つけ、

きっと私のようになった人が

どこかにいて

ダンスが生まれたのかも

しれないと思いました。

 

絵画などの芸術的創作も

性という源のエネルギーから

生まれるのでしょう。

 

しかし、何故か

私の場合は、

性欲が高まり変性意識に入ると

音楽やリズムに関する

現象ばかり現れます。

 

私は自分に起きたことから考えると

特に音楽と

性エネルギーの関係は

切っても切れないもののように

思います。 

 

性欲は

悪いもの、罪深いものではない。

創造の源となるエネルギーです。

 自然で、霊的な力です。

 

幾多の生に渡って

取り入れてきた

『性は悪、罪』という条件付けは

強力に思えますが、

内にある真実は

そうではないと知っている。

その恐れは幻だと

教えてくれる。

 

真実に照準を合わせ

幻から目覚め

自由になる。

 

そのためには、まず

心の中の『がらくた』を

捨てること。

がらくたを捨て始めたら

元々あった光が

見えてくる。

がらくたの隙間から徐々に

光が射してくる。

 

蓄積してきたがらくたを

捨てるのに

時間はかかる。

一朝一夕とはいかない。

でも焦ることはない。

その光は失われることは

ないのだから。

 

私の中のがらくたが

無くなった訳ではないけれど

確かに静かで

生命力に満ちている私がいる。

 

恐かったけど、

その時その時で内側に

『一番響くもの』に沿ってきて

良かったと今は思います。

 

読んでいただき

ありがとうございます(^^)/