青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

愛はお腹にある。

愛はお腹にある。

のだなーと感じる今日この頃です。

 

それは自分が

『愛』であることを思い出し、

するとお腹がとても

熱くなってきたからです。

 

昨日、

私は気づいてしまった。

 

愛を制限したのは

自分自身なのだ、と。

 

そして

どれほど、この私が

親や他者を憎んでいても

『人(親、家族、他者)を

愛している』自分が居ることに。

 

『他者を愛している』自分の

その愛を

ものすごい力で

抑えつけていた。

 

『私は人を愛していない』

愛せない人間なのだと

説得してきた。

 

心から湧いてくる愛を

否定し、抑えつけ、

人を愛せない

愛せない

愛せない。

 

愛してはいけないと

禁じていた。

 

愛したいという気持ちを

全力で

全身全霊で

捻じ伏せてきたのだ。

 

でも、どれほど

否定しても

『人を愛している』

『人を愛したい』

思いは心の深みから

流れてくる。

止まることはない。

 

何故なら

愛が私達の『本質』であるから。

 

人を愛せない自分とか

愛していない自分は

ただの幻である。仮の姿なのだ。

本来の自分ではない。

 

私は

『人を愛せない、

愛してはいけない人間である』という

思い込み(ビリーフ)を手放すことにした。

 

曖昧でなく

明確に、はっきりと

意図を持つ。

 

『私は人を愛せる人間だ。

人を愛して良い。

本質に沿って生きていく。』、と。

 

小学生の時に

決めたこの決意を

手放す時が、

いよいよ来たのだ。

 

長かった。

本当に長かった。

 

私はどうしても

あの時の傷ついた自分の

怒りや悲しみ、絶望を

手放すことが

出来なかった。

 

許したくない。

どうしても

許したくなかった。

許すことは

傷ついた自分への

裏切りだと思っていた。

 

どれほど抵抗しても

湧いてくる

思いがある。

 

聞こえないように

耳を塞いでも

その声は

止まない。 

 

ずっと

手放したくなかった思いを

手放す時が来たら

きっと気づくことが出来る。

だから焦らなくて良い。

 

その声は

無くならないのだ。

 

『人を愛している自分』が

本来の自分なのだと

思い出す時がきっと、来る。