青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

大地震、今、受け取っているもの。

6日の地震から

数日、たくさんの変容とエネルギー、

気づきを私は貰っている。

 

私の住まいは

北海道胆振地区。

最も被害のあった

厚真町からは少し離れているが

激しい揺れと

停電という被災体験は

初めてだった。

 

私自身も含め、

周囲は怪我などもなく

皆、無事である。

有り難いことだ。

 

それで、

私は考えていた。

何故、この地震

体験したのか?を。

 

今回の地震

またも、不思議な事があった。

 

激しい揺れで

目が覚めたのだが

不思議なほど、

心が静かになっていくのだ。

 

いつもの私なら

恐怖でパニックになり

どんどん怖くなるはずなのに。

 

その感覚が

自分でも良く分からなかった。

理解出来なかった。

 

その時は

じっくり考える時間もなく

逃げられる用意などをして

慌ただしくしていたが、

 

改めて振り返ると

やはり、こういった災害も

自ら望んで体験しているのかも

しれないということだった。

 

普段の意識を超えた

『より大きな私』が

この地震

体験させている。

了解している。

自己の何らかの

進化のために。

 

あの静かになっていく感覚は

『この地震があることを

知っていた』という叡智が

私の中にあることを

教えていた。

それは

とても貴重な体験だった。

 

そして、

私はこの先の未来で

どんな人生、どんな世界で

生きていきたいのかを今、

問われているのだと

思った。

 

この大地震

私にとって、

別の人生で経験した

アトランティス文明の崩壊』を

想起させるものだ。

 

この先私は、

あの時と同じように

破滅、崩壊の世界を生きるのか?

 

それとも

平和、安らぎの世界を生きるのか?

 

私は、本当は

どちらの世界に生きたいのか。

どんな世界を望む?

 

それは私の意志で

選ぶことが出来る。

私の自由なのだ。

 

私はこれまでの

たくさんの別の人生で

何度も諦めてきた。

 

文明の破滅を

経験してきたという

記憶がある。

 

自分で運命を変えることは

出来ないと信じてきた。

そして、その世界に生きた。

 

私の中に

深い無力感、

罪と罰の意識がある。

 

それは捨ててはいけない、

手放すことは

許されないと

思ってきた。

常に罰を受けていなければ

生きていてはいけない。

幸せになることは

許されない。

そう思ってきた。

 

でも私はこの人生で

捨てようと思う。

 

この人生では

幸せに生きることを

自身に許していきたい。 

 

『幸せになること』を、

幸せになって良いと

まず、自分に許す事が

その道を開くための

第一歩になり、

 

『本当は、どんな人生を生きたいのか』を

正直に自身に問いかけ

決めること。

 

『自分は、こう生きたい』という

意志を定めること。

 

どんな世界を生きても良い。

 

様々な未来は今と

同時に多数存在していて

自分の望むように

選ぶことが出来る。

 

それぞれの意識が

それぞれの世界を

創造している。

 

どんな人生を生きるのも

その人の自由だ。

 

今、そんな風に

問われていると思う。