青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

神秘体験は『空』を流れる雲

私達の本性は

『空(くう)』。

 

またの名は

『意識、愛、光、魂、存在、大いなるもの、

沈黙、空間、神、仏、創造主、それ…』

 

呼び名は

なんでも。

 

全ての人生を

体験を

感情を

思考、概念を

流れていく

スクリーン、空間である。

 

時に神は

私達に

神秘を見せて

その存在を一瞥させる。

 

『あなたはあなたが思うような

制限された存在ではない。

限界のない存在なのだ。』と

言うかのように。

 

すると今度は

神秘体験を基準にする日々が始まり

現実世界は

偽物であり

奇跡をみた神秘的世界を

評価したり

リアルで正しいのだと

信じるようになる。

 

しかし、

どちらかではなく

現実世界もまた

神秘体験と同じ

神(空、意識、大いなるもの…)の現れだ。

 

神秘体験は

この現実世界は

真実ではない

奇跡で見せた世界こそが本物だと

言っているのではなく

 

『現実世界の本当の姿を見なさい。

本当のあるがままの

この世界は

神そのもの

光そのものであり

神秘体験など

必要もなく

いつでも神は目の前に、既にここにある。』

と言っているのではないか。

 

どこかに行く必要もなく

何も癒されておらず

何も悟っていなくても

分かっていなくても

 

これで良いのだ。

 

何を出来ても

出来なくても

 

生きていて良いのだ。

 

なぜなら

どんな時も私達は

神だからだ。

 

どんな自分でも

これで良い。