青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

大きな節目を迎える。

昨日、地震があり

驚いたものの、

今回は停電もなく

私の周囲は

いつもの日常に戻っている。

 

私は、昨日の昼頃から

とにかく眠くて眠くて…

身体の節々は痛いし。

何なんだ?と思っていた。

風邪ではないし、

あー眠い眠いと

ずっと言って横になっていたのだが。

 

あ、これか。

地震だったのか。

と合点がいった。

 

前回の大地震の時はもっと酷くて

その前日は押しつぶされそうな

怠さや頭痛があったのだ。

 

地震後、友人と地震の前日

体調は平気だったのか尋ねると

そういえば、飼い犬が

落ち着かないようすで

ずっと怯えていたという話しだった。

 

私は動物達と

同じ感性なのか?

確かに私は人間という動物だけど。

 

でも、人間というのは

地震を予知出来たとしても

あまり認めたくないものだろう。

とも考える。

 

私は今度、同じような事があったら

『これから、地震が来る』と

認められるだろうか。

 

その時、『私達は死なない』と

肉体は死んでも

自分という存在は死なないと

本当に認められていたら

理解出来ていたら

何が起ころうとも

受け入れられるのだろう。

 

私はこれから

自分という『存在』を

知ろうと思っている。

 

私は身体から出ても

本当に死なないのか。

無くならないのか。

 

私=身体ではないのか。

 

私は誰なのか。

 

恐ろしくて恐ろしくて

見たくなくて

知りたくなくて

認めたくなかった

『私』とは何者なのか。

 

私は物質ではないのか。

私は物質世界に

生きていないとは

本当なのか。

 

私が一年前頃から考えていた事、

いつまで人に

教えてもらわないと

ならないのか?

自分で理解することは

叶わないのか。

 

私は誰の言うことも

本当は聞きたくないのだ。

 

いつもいつも

人の影に隠れて

人の後しか歩かなかった私は

 

本当は

誰の話しも聞きたくないし

人の後なんか

ついて行きたくない。

 

強情で頑固で

こんなにも

自分を知りたいという

願望が強い人間なのだということを

やっと認めた。

 

もう、体験するしかない。

そして理解していく。

 

恐いなんて本当は

嘘だということも

知っている。

 

全てがただの演技で

恐いふり

知らないふりを

しているだけだ。

 

色々な思いが

とめどなく流れていき、

どうしようもなく

涙が溢れてくる。

 

それは真実に

触れているからだ。

 

私達は

それぞれの現実の

創造者であるという真実に。