青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

大人のくせに、子どもで生きる。

年が明けて

またまたスランプに

陥る日々でした。

(またかいな(笑)

 

何だか気分が

イライラして

どうも落ち着かない。

 

見方や考え方を

切り換えようとしても

上手くいかない。

 

なので、

そのままでいました(笑)

 

うん、いーよ。嫌な奴でいよう。

そう思って

よし、せっかくだから

悪口や悪態をつこうと

ノートにそのまま

思うままに書きまくりました。

 

○○なんてさっさと死ね。

ふざけるな、クソババア!

お前なんか大嫌い。

殴ってやりたい。

お前がわがままだから

私が我慢しなきゃならないんだ。

だからお前はさっさと

いなくなれ!

 

思いつくムカつく人や事柄を

めちゃくちゃに書きなぐる。

罵詈雑言の限りを尽くす。

 

その後

一人でノートに書いたような

悪態をつきまくる。

 

すると

涙が出てきた。

だから湧いてくるままに泣く。

あぁ、やはり私は

本当は他者に怒りたいのではないと

思った。

 

本当は、私は悲しかった。

悔しかった。

いつもいつもわがままな奴の

代わりに、自分は

自己主張を控えなければならない。

そいつの犠牲になり

自分は我慢する。

子どものように

わがままな人間が私は大嫌いなのだ。

そいつはわがままが許され

私は許されない。

そう深く信じてきた。

犠牲になって諦めてきた私の悲しみが

怒りとなって他者へ向かっていく。

 

激しい怒りの奥には

悲しみがある。

ムカつく他者の中には

『本当はこうなりたい私』や

『本当はやりたくないのに

無理して我慢している私』

などがいることも

理解している。

 

しかし、他者は自分の反映であることを

頭で分かっていても

感情が揺れて揺れて

観察など出来そうもない時は

出し切る、感じきるという方法を

私は使う。

まず感情を感じ、吐き出すのだ。

 

感情が変化して

何かが見えてくる。

 

今回は

大人のくせに、

子どもみたいな人への怒りや恐れがあって

その実は

私も子どもみたいに

人にどう思われても関係なく

絶対こうしたいという自分、

素直で無邪気な自分を曲げずに

生きていきたいのだと

分かった。

 

そして、嫌いな人の嫌だと思う所、

今回の例では

自己主張しすぎて

強引だったり

ヒステリーを起こすことなどは

自分は取り入れないようにしよう。

 

嫌いな人は

自分が本当は

どうありたいか

在りたくないかを教えてくれる。

 

『大人だけど、子どもの自分を

殺さずに生きること』が

私にはとても大切なんだと

改めて、認識出来た。

 

大人でありながらも

子どもとして生きていくことは

今後、私の『要』となるのだろう。