青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

人は耀きを恐れているだけ。

本当に大切なことほど

隠されていて

捻じ曲げられている。

 

それは

今に始まったことではなく

地球では古くから

繰り返されてきたのだろう。

 

ただ真実の本質に沿った自分を

生きることが

とんでもなく困難で

恐ろしく

不可能だと思う私達。

 

その『恐れ』がいつも

私達人間が

人間以上の存在であることを

忘れさせるのだ。

 

けれど、恐れの先に

恐れを抱きしめている自分、

恐れは自分の全てではなく

ほんの一部分なのだと

理解し、愛し受け入れている自分がいる。

 

恐れを超えている自分が

『本当の私』とか『存在』とか

ハイヤーセルフ』とか

『光』とかだ。

全てを知り、内包している。

 

恐れによって

制限されている(している)自分のままで

生きるのを止めて

超えている自分で

本来の資質に沿って

生きることを取り戻す。

 

地球とはそういう遊びを

する場所なのだ。

 

恐れから抜け出せないのは

第一に、感情を感じないからである。

感情を感じることを

避けていると

いつまでも感情に囚われる。

感情を無視して

より全体的な自分の視点に

立つことは出来ない。

 

感情を否定せず

しっかりと悲しむ、怒る、嘆く、恨む。

人に分かってもらう必要はない。

自分が自分に

感情を感じることを許す。

どんな醜い感情もあって良いと

認めて、表現することを許す。

 

その上で

新しい観念の構築をしていく。

意思の力を使い、

『こうしたい、こうなりたい』世界を

創っていく。

 

私を含め、殆どの人が

感情を我慢することが

当たり前になっていて

自分が辛くなっていることにも

気がついていない。

 

精神世界で流行っている

引き寄せの法則』が

上手くいかないのは

恐らく感情が

抑圧されたままになっているから。

 

感情を感じることを

経ていないと

その抑えつけた感情と

付随する観念の世界が

実現化するのだろう。

 

それだけ、感情は

私達の生活に

影響を与えるものなのだと考える。

 

私達は

辛い、悲しい、寂しい、不安だ。

と感じてはいけないし

言ってはいけない

禁じられてきた。

 

感情を感じることは

恐いことだ。

 

悲しんで泣いたり

寂しいと弱音を吐いたり

怒ったりすることは

悪いことで許されないことだという

社会の風潮や

親の躾に背くことになるから。

 

そう、感情を感じることは

とても恐いこと。

 

本当の自分を

知ることだから。

 

本当の自分を

知ることほど

恐ろしいことはない。

 

けれども

こんなにも豊かで

こんなにも美しく、

心安らかな場所は

自分以外の世界中を探しても他に

見つからないだろう。

 

自分がちゃんと感情を感じているか、

一体どうなのか

よく分からないという人は

『自分はどんな感情も感じて良い』と

許しているだろうかと自分に

問いかけることから

始めてみたら

良いかもしれない。

 

私もそうだったが

永いこと感情を封じていると

急に一人で感じようとしても

難しい。

 

どうしても、

辛くないふり、平気なふりを

してしまうのだ。

 

自分で自分に嘘をつくことに

慣れているので

本当は辛いのに、

辛くなる自分が悪いと責めて

辛いままでいようとする。

この程度で辛いと感じちゃいけないと

我慢する。

 

しかし、大事なのは

どの程度であろうと

軽かろうが重かろうが、

『辛いと感じていること』である。

 

世の中には素晴らしい

プロが沢山いるので

心理やスピリチュアルの

カウンセリングでも

セラピーでも何でも、

探して活用することを

おすすめする。

 

今はスカイプ等での電話セッションを

やっている場合も多いので、

全国どこにいても

探せばきっと見つかるはず。

 

その際『ピンと来た人』を

選ぶと良いと思う。

私はブログを通じて

探すことが多かったかな。

 

感情を感じることは

永いこと

それを封じてきた者にとって

難しく恐ろしいことではあるが

 

 いつまでも

同じような人生の繰り返しが

本当に嫌になったのなら

それを変えることは可能なのだと

私は思っている。