青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

ただ『喜び』を求めていく。

現実は私が創る夢、

らしい。

 

夢だと思っていたものは

現実であり、

現実だと思っていたものは

夢なのだという。

 

夢と現実には

境目はなく

どちらも自分の創造した世界である

らしい。

 

私は明晰夢を見る訓練をしながら

いつの間にか

自ら悪夢を望んでいる自分に

気づいた。

 

私は悪夢を見るだろう。

どうせ何をしようが

どの世界を見ようが

不幸になるのだろう。

それはきっと変えられない。

 

と願っている自分がいた。

 

明晰夢のなかでは

色鮮やかな

美しい世界があると聞いた。

平和で穏やかな世界。

それは私達の『故郷』であるらしい。

 

元々はそんな内なる神性を

表すような世界を

体験してみたいと願っていたのだ。

わざわざ不幸になるために

嫌な思いをしたくて

訓練を始めたわけではない。

 

私は現実でも

眠っている間の夢でも

自ら不幸になろうとしなくて良い。

わくわくするような

幸せな夢を見たいと望んで良い。

と仕切り直すことにした。

 

真の自己に目覚めるには

幸せになるためには

苦労が付きものだ。

痛みを味わうべきだ。と

気づくと苦行しようとする私がいる。

 

 

苦労もせずに

ただ幸せになってはいけないという

罪悪感や

スピリチュアリティ

目覚めることに対する恐れ、

変化することへの恐れなどに

動かされていたと思う。

 

純粋な『私』と向き合うと

恐れがあっても

やはり、夢の世界を探求したいと

望んでいる。

この起きている世界に

いない時の『私』を認識したい。

この現実世界だけが確かなものではなく

全てなのではないと

言っている『私』がいる。

 

恐い存在や恐い出来事が

待っているから怖くなる訳ではなく

ただ恐いと思い

未知としている体験を避けたいだけである。

おそらく、『私』、真の自己の正体は

恐がるようなものではない。

自分が恐い世界に生きたいなら

それが可能であるし

その逆も然り。

夢の世界でも、この現実世界でも

『どう在りたいか』が

具現化される。

 

『私は夢でも現実でも

幸せでありたい』と

ただ素直に望んで良いのだ。