青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

『親子』でいたかったのだろう。

私はいつまでも両親と

傷つけ合う親子の間柄で

いたかったのだろう。

 

あの時

深く傷つけられたのだ。

先に傷つけたのは

両親なのだから

私は親を人を愛することを

止めたのだ。

ズタズタにしたのは

奴らなのだから、

絶対絶対許さない。

 

私から愛することは

負けである。

過去の自分への裏切りである。

愛してたまるものか。

 

とてもとても

深い恨み、怒り、

親を恨むことと

同時にある深い罪悪感。

 

私がそれらに

囚われるようになったのは

まず親が発端であり

絶対に私からではない。

そう固く信じていたのに…

 

『私が全ての現実の創造者』

『全ては私から始まり

創造されている』

『私の内部の分離が現実に現れる』

 

この見方を採用することで

揺らいできてしまった。

 

私は自分に何度も

心を込めて問いかけた。

本当に私から、

罪悪感や犠牲者になるべきという

エネルギーを

発していなかったか。

本音を殺していなかったか。

間違いなくあの時、

自分を愛せていたか?

 

心の深くから湧いてくる思い

解放の涙が流れた。

そうか、私はやはり

あの時も創造していたのだと思った。

あの傷を自ら創りだしたのは私だった。

涙の後には

深い安らぎと自由が

胸に広がった。

 

あの子どもの時も

私は無力ではなく

自らの人生の創造者だった。

自分と全く無関係に

親の喧嘩が起きて

私を傷つけたのではない。

素直な感情を認めてはいけないと

強く罰することにより

何を感じていたのか

わからなかった。

感じることが恐ろしくて

悲しくて

わかりたくなかった。

私は『自分は悪い人間』という思いを

現実にして、

私が私を責めることを表すように

両親はお互いを責めていた。

私は私を責めていて

愛せていなかった。

 

これらをよく振り返り

親を憎むことを

止めようと思っている。

親を否定すること

それはもう、私のしたいことではないから。

親という外側に創造の力はなく

私にある。

私は愛であり

親も愛であり、

憎み合う時もいつも愛であるから。

何も恐れることはない。

 

真の望み、『愛すること』を

抑えずに

湧いてくる愛のままに生きて良い。