青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

社会的に暇であることの大切さ。

現代社会では社会人なら

フルタイムで働き、 

一人で生活出来るくらいの

収入を得ることは

『マトモな大人』として認められる

基準のひとつだと感じています。

 

私は今は

その基準から

離れて暮らして3年。

マトモな大人では

なくなりました(笑)。

 

でも『私は』これで良いのだと

思っています。

 

両親は(特に父は)

働かざる者食うべからず

という一般的な考えなので

よく非難されますし、

離れた友人もいます。

 

フルタイムから離れることは

とても恐いことでしたが、

『みんなと同じ生き方』から

離脱する為には

私には必要だった。

 

そして暇になることで

自分としっかり向き合う。という目的も

あったように思います。

 

特にスピリチュアリティの開花、

自我を超えたより全体としての自分を

理解していく過程で

『暇であること』

『時間があること』はやはり

重要なのではないかと

思います。

 

スピリチュアリティ

開花の過程では

自己と向き合うことで

身体的、精神的な変容に伴う

変調(私でいえば過呼吸、嘔吐、発熱、咳、喉の痛み)が起こることもある。

エネルギーの消費も

かなり激しいので、ゆっくり休む時間も

必要になる。

 

私は抑圧感情が強い方で

それらのエネルギーが短期間に

一気に解放されて

様々な症状が表れたと思うので

勿論、

人それぞれなのでしょう。

 

そういうことも起こり得るので

本来の自分を生きていこうとする時に

今までの価値観のままで

同じようにやっていくことは

無理があるかもしれないです。

 

私もずーっと

パートのままではいたくないですが。

(段々と飽きてきているから) 

 

仕事への自信が芽生えて

もっと飛躍したいと

心底思い、様々な面で準備が出来たら

更に拡大する時期が来るのでしょう。

 

人は変化する存在。

ずっと同じままでは

いられないのです。

 

パートだったり無職だったり

何らかの形で

『みんな』から外れることは

恐ろしいこと。

 

「あぁ、人から外れることが

自分は恐いんだな。」

と認めたら

 

『みんな』ではなく

『自分は』どうしたいのか?を

問いかける。

 

今はみんなから外れた

私のこの生き方を

大切にしていきたいです。