青の光と星

目に見えないけれど、確かにある世界を感じ始めた私の日々について。

現実をエネルギーで捉える試み。

ある人をその人として

見ないで

『自分のエネルギー』の表れとして見る。 

ということを

やってみようと思う。

 

例えば

母を母として

捉えない。

私のエネルギーの表現として

見る。

 

母が許せない、

母が苛立つ、こういう所は

本当に止めて欲しい、

いい加減直して欲しい。と思う時。

 

それは私自身の

『あることに対する恐れ』の

表れである。

 

母が他者に対する

コントロールや過干渉を

過剰にする時。

それを嫌だなと私が思う時。

 

私は他者や現実を

コントロールしたい、

人をコントロール出来なければ

望み通りにならない。

自分の思い通りに

人が動いてくれないと

不安である。

と私は思っている。

 

又は、

私は他者の指示に支配されるしかない。

私は選択することが出来ない。

私は現実を選べない。

コントロールは嫌な面もあるが

コントロールされることは安全を感じる。

などと信じていると分かる。

 

ならば、

私はどうなりたいか?

真実に沿った私とは何か。

 

『私が私の現実を

いつも創っている。

選んでいる。』

 

『真に他者をコントロールなど

出来ない。

出来ているつもりでいるだけだ。』

 

『全ての人はその現実の

創造者だから。』

 

私は誰にも支配されたくない。

自分に沿って生きていく。

世間や他者ではなく

自分を指針にする。

 

日常の中で

『私の母』だとして見ると

直したくなって

色々言ってしまうが、

 

母を母として

見るのを止めて

『自分の表現』として捉える。

自分は他者を通じて

どう在りたいか?を知る。定める。

 

母だけでなく、

全ての他者は

自分である。

 

現実の中に

いつもヒントがある。

そして、答えは自分の中に。